天下の名湯、草津
「恋の病以外なら何でも治す」。 そう謳われるほど強力な効能を誇る草津温泉は、岐阜の下呂、兵庫の有馬と並ぶ日本三名泉のひとつである。 温泉街の中心に広がる「湯畑」からは、毎分四千リットルともいわれる湯が惜しみなく湧き出し、もうもうたる湯煙を絶え間なく天へと立ちのぼらせる。 強い酸性の湯は肌を刺すように熱く、けれどその熱さこそが古来より万病を癒すと信じられてきた。 高温の源泉を、水で薄めることなく入浴できる温度まで下げるために編み出されたのが、長い板で湯をかき回す伝統技法「湯もみ」だ。 「草津よいとこ」と唄うリズミカルな草津節に合わせ、白い湯気の中で板が踊る光景は、この地でしか出会えない無形の文化である。 湯畑から放射状に延びる路地には、湯気を上げる共同湯や老舗の宿が軒を連ね、湯の町ならではの濃密な情緒を醸し出す。 かつては湯治場として全国から人々が集い、長逗留して心身を整えた歴史を持つ。 夜、ライトに照らされた湯畑のまわりを浴衣で歩けば、立ちのぼる硫黄の香りとともに、湯の町の鼓動が体に染み込んでくる。
近代化を紡いだ赤レンガ
明治五年、生まれたばかりの近代国家が世界の列強に追いつこうと産声を上げたとき、その意志を最も雄弁に体現したのが富岡製糸場だった。 フランスの技術を取り入れて建てられた巨大な赤レンガの建物は、当時の人々の「追いつき、追い越せ」という気概そのものである。 木の骨組みにレンガを積む「木骨煉瓦造」の東置繭所や、柱のない広々とした繰糸所の空間に立つと、百五十年前の熱気が今も静かに息づいているのを感じる。 ここで紡がれた良質な生糸は世界中へと輸出され、外貨を稼ぎ、日本の産業革命を足元から支えた。 養蚕から製糸、絹織物へと連なる一連の遺産が高く評価され、二〇一四年には世界文化遺産に登録された。 操業を終えた今も、敷地内には創業期の建物が往時の姿のまま保存され、訪れる者を静かな感慨へと誘う。 広大な繰糸所に足を踏み入れると、かつてここで幾百もの女工たちが糸を繰り、白い繭から一本の生糸を紡ぎ出していた情景が目に浮かぶようだ。 絹の白い糸は、この国の近代を織り上げた一本の縦糸でもあったのだ。
石段に刻まれた歴史、伊香保
榛名山の中腹、急な斜面に張り付くように築かれた伊香保温泉は、三百六十五段の石段街でその名を知られる。 一年の日数になぞらえた石段を、源泉から引いた湯が脈々と流れ下り、町全体がひとつの温泉装置のように設計されている。 石段の両脇には、温泉饅頭発祥の店や土産物屋、ノスタルジックな射的場が肩を寄せ合い、どこか昭和の温もりが漂う。 湯には二種類あり、鉄分を含んで茶褐色に染まる「黄金の湯」と、無色透明の「白銀の湯」。 ひとつの温泉地で性質の異なる湯を楽しめるのも、伊香保の懐の深さである。 浴衣に下駄をつっかけ、カランコロンと音を響かせながら石段を登れば、まるで時間が緩やかに巻き戻っていくようだ。 登りきった先に鎮座する伊香保神社は、古くから子宝と縁結びの守り神として親しまれてきた。
上州の風と小麦文化
冬になると、上越国境の山々を越えてきた乾いた季節風が、平野を吹き抜けていく。 「上州空っ風」と呼ばれるこの強風は、稲作には厳しい一方で、麦を育てるには好都合だった。 こうして群馬は古くから小麦の一大産地となり、各地に豊かな粉もの文化を育んできた。 コシの強さで知られ、香川の讃岐うどん、秋田の稲庭うどんと並んで日本三大うどんに数えられる「水沢うどん」。 幅広の麺を野菜とともに味噌仕立てで煮込む、家庭の味「おっきりこみ」。 そして甘辛い味噌ダレをたっぷり塗って香ばしく焼き上げる、群馬名物の「焼きまんじゅう」。 さらに食卓を彩るのは、すき焼き文化を支える上州和牛と、下仁田に名を残すこんにゃくだ。 こうした料理の多くは、農作業の合間に手早く腹を満たすために生まれた、暮らしに根ざした知恵の産物でもある。 派手さはなくとも、土地の風土と人の営みがそのまま味になっている。 素朴でありながら滋味に満ちた上州の味は、訪れる人の小腹と心を、過不足なく満たしてくれる。
山が描く、四季の表情
群馬の魅力は湯の町だけにとどまらない。 県土の多くを山が占めるこの地は、季節ごとにまったく異なる顔を見せてくれる。 春、赤城山の南麓には「赤城南面千本桜」が淡紅色の帯となって連なり、丘陵をやわらかく染め上げる。 夏は涼を求めて尾瀬へ。 本州最大級の高層湿原・尾瀬ヶ原では、水芭蕉やニッコウキスゲが木道の両脇に咲き、空の青を映す池塘が点々と光る。 利根川の源流を抱くみなかみでは、渓流をくだるラフティングや渓谷のキャニオニングが、夏の盛りに躍動する。 秋、谷川岳や吾妻渓谷が燃えるような紅葉に包まれると、山肌は錦の織物さながらの色彩をまとう。 そして冬。 雪化粧をした草津や万座の露天風呂に身を沈め、白い湯煙の向こうに舞う粉雪を眺める時間こそ、上州の冬が贈る最上の贅沢である。 絹の白から雪の白へ。 群馬は一年を通じて、旅人に静かな感動を手渡してくれる。
湯と絹をめぐる、二泊三日の旅路
限られた日数で群馬の真髄に触れるなら、湯と絹という二本の縦糸をたどる旅をおすすめしたい。 初日はまず富岡へ向かい、赤レンガの製糸場で近代日本の息吹に触れる。 帰り際には、養蚕で栄えた周辺の町並みを歩き、絹がこの地にもたらした繁栄の名残を感じ取りたい。 その日のうちに高崎を経て、達磨で名高い少林山達磨寺に立ち寄れば、福を呼ぶ赤い達磨が旅の門出を見守ってくれる。 夜は伊香保へ。 石段街の宿に荷を解き、黄金の湯にゆっくりと身を沈める。 二日目は、より山深い草津へと足を延ばす。 湯畑の湯煙と湯もみの唄に身を委ね、温泉街の路地をそぞろ歩き、夜は強酸性の名湯で一日の疲れを溶かす。 体力に余裕があれば、最終日は北へ。 みなかみの渓谷や、季節が許せば尾瀬の湿原まで足を運び、利根川源流の清冽な空気を胸いっぱいに吸い込む。 湯に癒され、絹に学び、山に抱かれる。 この三日間が、上州という土地の力強さと優しさを、旅人の記憶へ深く織り込んでいくはずだ。