神宿る山、富士

どこから見ても美しく、見るたびに表情を変える日本最高峰。 標高三七七六メートル、その端正な稜線は、絵に描いたような完璧さで天へと伸びる。 古来より人々はこの山を神そのものと崇め、麓に浅間神社を祀り、その姿を心の拠り所としてきた。 かつては修験者が登拝を重ねた信仰の山であり、その文化的価値は世界文化遺産にも刻まれている。 新倉山浅間公園の忠霊塔越しに望む姿は、五重塔と桜と霊峰が一枚に収まる、まさに「THE JAPAN」と呼ぶにふさわしい絶景だ。 春は淡い桜、夏は深い新緑、秋は燃えるような紅葉、冬は凛とした雪化粧。 四季折々の装いを纏い、訪れる人々に圧倒的な感動と、言葉を失うほどの静寂を与えてくれる。 同じ富士でも、見る場所と時間によって無数の顔を見せる。 だからこそ人は、何度でもこの山に会いに訪れるのだ。

Mt. Fuji and Chureito Pagoda with cherry blossoms
五重塔、桜、そして富士山。日本の美意識が一枚に凝縮された、奇跡のような風景。

湖が映す、富士の鏡像

富士山の北麓に連なる富士五湖は、霊峰を仰ぐための特等席である。 河口湖、山中湖、西湖、精進湖、本栖湖——それぞれに個性を持つ五つの湖が、太古の噴火が生んだ大地の上に静かに横たわる。 なかでも河口湖と山中湖は、風のない朝、水面に寸分違わぬ「逆さ富士」を描き出す。 旧千円札に描かれた本栖湖からの富士もまた、日本人の記憶に深く刻まれた風景のひとつだ。 湖畔をめぐれば、季節ごとに表情を変える花々と、刻一刻と色を変える山肌が旅人を迎える。 初夏には河口湖畔を青く染めるラベンダーが、秋には湖をぐるりと囲む紅葉のトンネルが目を奪う。 ボートで湖上に漕ぎ出せば、空と水のあわいに浮かぶ富士をひとり占めにする贅沢が待っている。 昼は湖面のきらめきに目を細め、夜は街の灯から離れた漆黒の空に瞬く星を数える。 湖の北には、樹海の名で知られる青木ヶ原や、八ヶ岳・清里の爽やかな高原リゾートも控えている。 標高の高い高原では真夏でも風は涼やかで、白樺林と牧場が広がる景色は、まるで異国を旅しているかのようだ。 ここでは、自然そのものが何よりの娯楽になる。

テロワールを味わう

山梨は「日本のボルドー」とも呼ばれるワイン王国。 百四十年以上前、勝沼の地で日本のワイン醸造は産声を上げた。 明治の世、二人の若者が遠くフランスへ渡って醸造を学び、その技術を持ち帰ったことが、すべての始まりであった。 内陸の盆地は雨が少なく日照に恵まれ、昼夜の寒暖差が果実に凝縮した甘みと酸を授ける。 豊かな陽光を浴びた斜面のぶどう畑が、この土地ならではの味わいを生むのだ。 日本固有品種「甲州」から造られる白ワインは、繊細で柑橘を思わせる香りが身上で、出汁や繊細な味付けの和食との相性も格別だ。 近年は世界の品評会でも高く評価され、その実力は国境を越えて認められつつある。 勝沼や笛吹に点在する大小の醸造所をめぐり、造り手の言葉に耳を傾けながら一杯を味わう時間は、旅の記憶を深く彩る。 夕暮れ、黄金色に染まるぶどう畑を眺めながら傾けるグラスには、この土地の陽光と土壌、そして造り手の情熱が静かに溶け込んでいる。

Koshu Grape Vineyard at sunset
夕陽に透ける甲州ぶどう。この一粒一粒が、やがて芳醇なワインへと姿を変えていく。

フルーツ王国の四季

「フルーツ王国」の名は伊達ではない。 桃やぶどうの生産量は全国でも屈指を誇り、その品質は折り紙つきだ。 春になると甲府盆地は一面、桃の花の淡紅色に染まり、まるで桃源郷が地上に現れたかのような光景が広がる。 盆地を見下ろす高台からは、ピンクの絨毯の彼方に雪を残した山々が連なり、息をのむほどに美しい。 夏には溢れんばかりの果汁をたたえた桃、秋には宝石のように輝くシャインマスカットや巨峰が、次々と旬を迎える。 果樹園では、枝からもいだばかりの完熟の果実をその場で頬張る歓びが待っている。 太陽の熱をまだ宿した一口は、店先で並ぶものとはまるで別物だ。 摘みたての果実を惜しみなく使ったパフェやかき氷もまた、この地ならではの味覚として旅人を魅了する。 この贅沢こそ、山梨への旅でしか味わえない、季節からの最上の贈り物である。

Premium Fruit Parfait with Peaches and Shine Muscat
旬の味覚を惜しみなく盛りつけたフルーツパフェ。目にも舌にも鮮やかな、自然のアート。

武田信玄の遺した甲斐路

山梨の旧名「甲斐の国」は、戦国最強と謳われた武将・武田信玄の本拠地であった。 甲府の中心に鎮座する武田神社は、信玄が政務を執った躑躅ヶ崎館の跡に建つ。 「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉が示すように、堅固な城ではなく人の結束を頼みとした信玄の思想は、今なお多くの人を惹きつけてやまない。 精強で知られた騎馬軍団「武田二十四将」の物語は、この地に数多くの伝承と史跡を残している。 甲府の奥座敷、昇仙峡へ足を延ばせば、花崗岩の断崖と清流が織りなす日本屈指の渓谷美が広がる。 シンボルの覚円峰がそそり立ち、仙娥滝が白い飛沫をあげて落ちる様は、まさに自然が刻んだ彫刻だ。 渓谷沿いの遊歩道をゆっくりと辿れば、水の音と木漏れ日に包まれ、戦国の世から変わらぬ自然の力を肌で感じられるだろう。

一泊二日、甲斐をめぐる旅

山梨は、富士を仰ぐ南の麓と、果実とワインに恵まれた北の盆地という、対照的な二つの世界を抱えている。 その魅力を一度に味わうなら、二つの顔をつなぐ周遊がいい。 初日は富士の麓へ。 朝の澄んだ光のなかで新倉山浅間公園や湖畔から霊峰を仰ぎ、こしのある吉田のうどんや、味噌仕立ての郷土料理ほうとうで体を芯から温める。 午後は湖をめぐり、ロープウェイから富士と湖を一望に収めるのもいい。 夜は湖を望む宿に身を委ね、温泉に浸かりながら、満天の星と静寂に包まれて眠りにつく。 二日目は盆地側へと下り、勝沼のワイナリーや果樹園をめぐる。 甲州ワインを味わい、旬のフルーツを摘み、昇仙峡の渓谷を歩いてから、最後に武田神社へ参って甲斐の歴史に思いを馳せる。 帰りには信玄餅をはじめとする土産を選ぶのも、旅の締めくくりにふさわしい。 山と水、神話と歴史、そして豊穣の味覚。 この小さな県には、日本という国の縮図とも言うべき豊かさが、惜しみなく詰まっている。 富士を仰ぎ、土地の恵みを味わうたびに、訪れる者はきっとまた、この甲斐の地へ帰りたくなるはずだ。